清水宏保 母国五輪の重圧/人気ロックバンドB’zのライブに出掛けた 激しくも華やかなステージ 胸を打たれる

2016年1月29日(金)


【日刊スポーツ】
TOKYO五輪
ピックアップ 五輪コラム

母国五輪の重圧
清水宏保は「魅せる」
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6年後の東京五輪パラリンピックも空前の盛り上がりが予想される。いかに地元五輪の重圧を克服するか。

直近の国内開催の長野五輪で金メダルを獲得したスピードスケート男子500メートルの清水宏保氏(40)に極意を聞いた。


<聞こえてきた声>

約2年半の長期間にわたって、金メダルの十字架を背負った。清水氏は長野五輪の2シーズン前の95年10月、五輪代表に内定した。世界大会などの実績から金メダルを期待された。異例の措置だった。

清水氏 「何で清水だけ」との周囲の声も聞こえてきた。重圧から逃げて練習をしなかったこともある。不安な状態が続き、眠れない日はたくさんあった。


<B’zに学んだ
「五輪はライブ」>

長野五輪シーズン直前の97年夏。重圧に苦しんでいたとき、知人に誘われ、人気ロックバンドB’zのライブに出掛けた。激しくも華やかなステージ。胸を打たれるとともに、アスリートとの共通点を見いだしていた。

清水氏 魅せるとは、こういうことなんだと。五輪は普通の大会とは違ってエンターテインメント的な側面もある。日本で行われる大きなお祭りを自分の舞台にしてしまおうと思った。

忘れられない光景がある。19歳で初出場した94年リレハンメル五輪。米国の英雄ダン・ジャンセンが1000メートルで金メダルを獲得した。

88年カルガリー五輪から金メダル候補と呼ばれながら、92年アルベールビル五輪と連続無冠。リレハンメルでも最初の500メートルでバランスを崩し8位。ラストチャンスの1000メートルで悲願を達成した。表彰式では「ジャンセン」コールが渦巻き、世界が泣いた。

清水氏 メダルを争うライバルだったが、悔しいではなく、感動してしまった。魅せられた。このとき、人を感動させることはすごいと。自分も感動を与えたいと思った。

B’zのライブを見て、その思いが強くよみがえった。結果がどうであれ、自分自身から感動できるレースをしようと。


清水氏 五輪は自分のライブであり、舞台であり、発表の場。しっかり準備をして最高のパフォーマンスをみんなに見てもらう。そう思えれば、五輪の重圧は消える。

【田口潤】

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長野オリンピック
スピードスケート
男子500m
http://m.youtube.com/watch?v=4KNMSwMBRaA


日本国国歌 君が代 Japan`s national anthm "Kimigayo" 清水宏保 スピードスケート 500M表彰式 1998 長野五輪
http://m.youtube.com/watch?v=tye2sSBByqM


清水宏保さんと
B’zのライブ
http://blogs.yahoo.co.jp/mabshii_diamond/64896104.html


kimigayo B'z matsumoto
http://m.youtube.com/watch?v=QXpkfR7z7AU