【稲葉なおと】さん出演 BS-TBS『新旧・名建築探訪クルーズ』放送/稲葉なおと さん『津山で出会った少年』

2016年8月16日(火)


ももタウンネット
イナバ化粧品店

2016.08.01
2016.8月17日(水曜日)
稲葉なおとさんが案内役を努める

夜9時~BS-TBS
『新旧・名建築探訪クルーズ~陽気なイタリア大型客船で巡る紺碧の西地中海~』

2016.08.01
稲葉なおとさんの新刊「モデルルームをじっくり見る人ほど「欠陥マンション」をつかみやすい」が発売に!
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毎日新聞
「経済プレミア」
街の文化漂う 秘蔵の宿
外国人に歌舞伎町ガイド本 ホテルグレイスリー新宿
稲葉なおと / 紀行作家、
一級建築士
2016年8月11日
http://i-yakata.net/conv/?_ucb_u=http://mainichi.jp/premier/business/articles/20160809/biz/00m/010/015000c

「街の文化漂う 秘蔵の宿」は、毎週木曜日に掲載します

当コラムを連載している
稲葉なおとさんが
BS-TBSの紀行番組
「新旧・名建築探訪クルーズ~陽気なイタリア大型客船で巡る紺碧の西地中海~」(17日午後9時)に登場。バルセロナナポリマルセイユの名建築や世界遺産を訪ねます。

新旧・名建築探訪クルーズ~陽気なイタリア大型客船で巡る紺碧の西地中海~
2016年08月17日 21時00分~2016年08月17日 21時54分
http://talent.weeker.jp/epg/detail/2000600225_281
http://i-yakata.net/conv/?_ucb_u=http://www.bs-tbs.co.jp/cruise/
http://i-yakata.net/conv/?_ucb_u=http://www.bs-tbs.co.jp/program_weekly.html#time_19
http://i-yakata.net/conv/?_ucb_u=http://www.bs-tbs.co.jp/cruise/backnumber/no209.html

稲葉なおとさんが、
書籍「モデルルームをじっくり見る人ほど『欠陥マンション』をつかみやすい」(小学館、税抜き1100円)を出版しました。一級建築士として分譲マンションを数多く手がけた稲葉さんが、モデルルームを見ただけではわからない、マンションの欠陥を見抜く方法を解説します。
http://www.amazon.co.jp/dp/4093798885/
http://i-yakata.net/conv/?_ucb_u=http://mainichi.jp/premier/business/articles/20160809/biz/00m/010/015000c


稲葉なおと
http://googleweblight.com/?lite_url=http://www.momotown.net/designer/inaba.html&lc=ja-JP&s=1&f=1
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『津山で出会った少年』

(記事より)

その家は津山という町のこぢんまりした商店街に建っていた。

「実家」という言葉の意味さえよく理解できていなかった幼い頃、ぼくは毎年正月になると両親に連れられて、東京から父の実家と呼ばれるその家に泊まりに行った。

駅からほど近い商店街なのにすぐ先には太い川が流れ、道を挟んだ反対側はそのまま山の斜面へと続いていて、もしかしたら狸や猪が隠れているのではないかと何度も眼を凝らしたのを覚えている。

その家には玄関がなく、化粧品店の石鹸の香りが漂う商品棚の合間を縫って奥へ歩くと、いつの間にか煮物の匂いが鼻をくすぐる台所の入り口に身を置いているという不思議なつくりの建物だった。

ちらほらと雪が降る日に津山に着くとぼくには密かな楽しみがあって、それは商店街から挨拶もそこそこに建物の中を台所の突き当たりまで歩き、裏口の戸をそっと押し開くことだった。

開けた瞬間すぐ足もとから遠くまで一面真っ白に染まった畑を目の当たりにするという体験は、窓の外にはお向かいの棟が立ちはだかる東京の団地住まいであったぼくに、まるで未知の世界へとつながる扉を開けてしまったかのような感動を与えてくれた。

東京から不思議な家への道のりは、丸一日かかるほど子どもには負担の大きい旅だった。

けれども当時のぼくがそれを苦に思うどころか冬休みになるといつも津山に向けて出発する日を心待ちにしていたのは、ちょっと塩気のある黒豆入りの餅をこんがり焼いて腹一杯食べられることと、その家に住むふたりの少年と遊ぶのが楽しみだったからである。

ぼくの父は三人兄弟の長男で、ふたりは三男の子どもだった。ひとりがぼくのひとつ年下、もうひとりが五つ下だった。

上の子とは年が近かったせいで、よく遊びつつよく喧嘩もした。お年玉として買ってもらったばかりのジャングル大帝の漫画本を手にしたその日にビリビリに破り合ったこともあった。

台所で始まった取っ組み合いの喧嘩のリングが裸足のまま雪の敷かれた畑に移動していたこともあった。

半泣き顔で相手のセーターを引っ張り合うぼくと上の子を、少し離れた安全な場所から、なんでこのふたりは寒いのにこんなところで掴み合っているんだろうとでもいいたげに、ぽかーんと眺めていたのが下の子だった。

雪合戦をしてもプロレスごっこをしても五歳下の子はいつも「ミソッカス」という肩書きでしか仲間に入れてもらえなかったのだが、ただひとつこのミソッカスにはぼくと上の子がどうしても真似できない得意技があった。

炬燵を置くとさしてスペースの空いていない和室の隅で、下の子が両手両足を大きく広げてポーズをとるとおとなたちはその様子に注目し、両足がまたたく間に空中で美しい弧を描く側転を成功させると間近でサーカスでも見たかのようなやんやの喝采が起きるのだ。

ぼくも上の子もミソッカスに主役の座をうばわれてなるものかと同じように両手を広げてアピールするのだが、次の動作は下の子のように奇麗に宙を舞うどころか無様に縮こまった足が空をもがくだけで、おとなたちからは拍手ではなく笑いが起きてしまいサーカスのピエロ役に甘んじるしかなかった。

頬を引き攣らせるぼくと上の子に下の子は別に自慢するでもなく、部屋の隅でまた自分のやりたい時に自分のタイミングでその技を何度も成功させていた。

もしも当時のぼくがもう10歳ほど年上だったら、クールな奴だな、とでもつぶやいたことだろう。

やがて、老舗和菓子会社の五代目社長となる上の子の名を、伸次といった。

炬燵の置かれた和室からドーム球場の特設大ステージへと舞台を替え、数人の親戚から数万人のファンへと観客を増やし、日本を代表するミュージシャンとなる下の子の名を、浩志といった。

あの頃のあの家のことをふと思い出す時、ぼくの眼にはいつも、ふたりの少年の姿が白い景色とともに浮かんでくる。


稲葉なおと Wikipedia
http://i-yakata.net/conv/?_ucb_u=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%91%89%E3%81%AA%E3%81%8A%E3%81%A8


「秘蔵の宿
稲葉なおとさんに聞く(1)
http://i-yakata.net/conv/?_ucb_u=http://mainichi.jp/premier/business/articles/20151222/biz/00m/010/013000c

「秘蔵の宿
稲葉なおとさんに聞く(2)
http://i-yakata.net/conv/?_ucb_u=http://mainichi.jp/premier/business/articles/20151222/biz/00m/010/014000c

「秘蔵の宿
稲葉なおとさんに聞く(3)
http://i-yakata.net/conv/?_ucb_u=http://mainichi.jp/premier/business/articles/20151222/biz/00m/010/015000c


稲葉なおと公式サイト
プロフィール
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