障害者殺傷 遺族葛藤の末に手記 男性は「B’z」の曲が大好きで曲に合わせて踊り、畳がすり減るほどだった

2018年11月26日(月)


NHK 首都圏のニュース
障害者殺傷 遺族葛藤の末に手記

19人が殺害された障害者殺傷事件で犠牲となった41歳の男性の家族が、事件から2年余りたって初めて手記を寄せてくれました。

語るべきか迷いながらも、障害者を否定する被告のことばに賛同する人がいることを知り、声を上げなければと一歩を踏み出した思いがつづられています。

犠牲になった41歳の男性は音楽が大好きで、曲に合わせてよく踊っていたといいます。

おととし7月、5日間の短期入所の予定で「津久井やまゆり園」を訪れ、その2日後、事件は起きました。

手記の中で、家族は「2年たった今も私たち家族にとってつらい気持ちで過ごすことに変わりはありません。息子に会いたいという思いは強くなるばかりです」と、今も変わらぬ悲痛な思いをつづっています。

男性は、生まれてすぐにダウン症と診断されましたが、家族は男性のことを周囲に隠すことなく生活し、地域の人たちに見守られて暮らしていたといいます。

「優しくて、ひょうきん。争いごとは好まない性格だった」という男性は、人気アーティスト「B’z」の曲が大好きで、曲に合わせて踊り、畳がすり減るほどだったといいます。

家族は、男性の死を受け入れたくないと、当初、何も語るつもりはありませんでした。

しかし、障害者を否定する植松聖被告のことばに賛同する人がいることを知り、語るべきか迷いながらも声を上げなければと思ったとしています。

手記では「『もしそういう人たちが犯人のほかにも出てきたら怖い』、『障害者がつらい立場に置かれる』と、居ても立っても居られなくなりました。意見を出すといったものの、何度も弁護士さんに『やっぱりやめておきます』と言いかけました。でもここで声を上げなければ後悔する。声を上げないと息子に申し訳ない」と、葛藤の末に一歩を踏み出した思いがつづられています。

そして、「どうして事件を起こしたのか、なぜ息子が死ななければならなかったのか知りたい」としたうえで、手記の最後には「犯人に聞きたい。あなたの家族、親、兄弟、子供が障害者となったら、同じような行動がとれるのか?いつ障害者の立場になるかわからないのに」と、強い問いかけを記していました。

【手記全文】より抜粋

2年たった今も私たち家族にとってつらい気持ちで、日々過ごすことに変わりはありません。

息子に会いたいという思いは強くなるばかりです。

頑固でやさしく、ひょうきん、争いごとはこのまず避ける。

ダンスが好きで、休みはB’zのCDをかけて踊っていました。
畳がすり減り、カーペットを敷いても同様です。
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20181125/0021767.html
http://servermobile.net/index.php?_kzm_u=https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20181125/0021767.html


▼「いつ障害者の立場になるかわからないのに」の問い掛けで思い出しました。こちらの記事も、お読み下さい。

メディアゴ
<相模原・障害者殺傷事件から>自閉症の子を持つ父の「詩」が世界的反響
http://mediagong.jp/?p=18860