B’zのCDを聴いて衝撃を受けたんですよ 日本にもこんなアーティストがいるんだ 吉田 真佐男氏(テレビ朝日)
2016年7月22日(金)
Musicman-NET
第115回 吉田 真佐男 氏
(株)テレビ朝日ミュージック 代表取締役社長
5. 「タイアップ」というビジネスモデルを構築
http://www.musicman-net.com/relay/115-5.html
(記事より抜粋)
そうなってくると良質な音楽を作るレコード会社や制作会社、それから多くのアーティストを手掛けているプロデューサーを探すんですが、そんな中で出会ったのがビーイングであり、長戸大幸さんだったんですよ。
6. クオリティ、時間、量、すべてを超越して起こったビーイング・ブーム
http://www.musicman-net.com/relay/115-6.html
(記事より抜粋)
--ビーイングの存在を知るきっかけは何だったんですか?
吉田:たまたまある日、会社に戻ってきたら僕の机の上にシングルCDが置いてあったんです。宣伝マンの方が置いていったのでしょう?
それがB’zだったのです。まだ売れていなかったB’z のCDを聴いて、衝撃を受けたんですよ。日本にもこんなアーティストがいるんだ、こんなにクオリティの高い音楽を作る会社があるんだとビックリしました。
それでCDにBMGビクターと書いてあったので、すぐに松井制作部長に電話したら、「これはビーイングって会社が制作している」と教えてくれて、すぐに連絡しました。数日後、近くの喫茶店で長戸さんと会いました。
僕はゴールデンで始まる新しい番組のオープニング、エンディングをやってくれと話を持っていったんですが、テレビというメディアと組んで仕事をすることに抵抗があるらしく最初は断られて、それでも説得してね。結局、引き受けてくれることになって、4,5曲くらい候補曲デモを持ってこられ選んだのが「BE THERE」でした。
--B’zのブレイクのきっかけはタイアップだったんですか?
吉田:現在のB’zの活躍を考えると、たまたまその時僕が関わったということかもしれませんが・・・。僕の記憶では「BE THERE」がオリコン初登場7位、その次の「太陽のKomachi Angel」こちらは我社は関係なくカメリアダイヤモンドのCMソングだったのですが、この曲からオリコン初登場1位となりましたね。
僕はビーイング以外で、音楽制作会社3社くらいに制作依頼して、どんどん曲を集めていましたが、圧倒的にクオリティが高いのはビーイングだったんです。ダントツに良い曲を作っていて、それがのちのビーイング・ブームになっていくんです。
--90年代ですよね?
吉田:そうです。普通のレコード会社のプロデューサー・ディレクターの制作工程は、詞や曲の打ち合わせ、アレンジをして、オケを作って、歌入れして、約一ヶ月工程でやっていたんですね。まあ一ヶ月かからなくても最低3週間のところ、ビーイングは完パケまで一週間で仕上げていましたからね。早いものは更に短時間で・・・。
やっぱり不可能を可能にするとか、時間を超越するとか、そういうことをしないと勝てないんですね。それが互いに仕事をしていくうちに意識としては普通になってしまう。クオリティ、時間、量、すべてを超越していく中でビーイングブームは必然的に起こったんです。
--その毎日大量に作られる音楽を吉田さんは全て聴かれていたんですか?
吉田:我社が関連しているものは全部聴いていました。徹夜も平気でしたしね。ゴルフも良く行きました。午後3時か4時頃に会社へ帰ってきて、それから夜中2時とか3時頃までずーっと仕事して(笑)。
テレビ朝日ミュージック
会社概要
http://www.tv-asahi-music.co.jp/company/?csidtvam=3nq8vmaf2aa7r0hrngt1e7h0k6
伝説の長戸大幸プロデューサー ボーカル 声だと思う そこにどんな魅力があるか どう引き出すか引き出せるか
http://blogs.yahoo.co.jp/mabshii_diamond/65810434.html
http://blog.livedoor.jp/action_076-superlovesong07/archives/1059558413.html
Musicman-NET
第29回 恒川光昭 氏
http://www.musicman-net.com/relay/29.html
(記事より抜粋)
ちょっと話飛んじゃうんだけどね、「ハーシーのチョコレートをその頃食べたんだ」っていう話をしたらね、長戸大幸さん(現(株)ビーイング代表取締役社長)がね、「恒川さん、それはやっぱり都会の男だよ」て言うんですよ。「俺は近江にいて上京してからハーシーを食った。やっぱりこの差だなぁ」なんて言ってましたけどね。それぐらいレアな体験だったんでしょうね。
Musicman-NET
第115回 吉田 真佐男 氏
(株)テレビ朝日ミュージック 代表取締役社長
5. 「タイアップ」というビジネスモデルを構築
http://www.musicman-net.com/relay/115-5.html
(記事より抜粋)
そうなってくると良質な音楽を作るレコード会社や制作会社、それから多くのアーティストを手掛けているプロデューサーを探すんですが、そんな中で出会ったのがビーイングであり、長戸大幸さんだったんですよ。
6. クオリティ、時間、量、すべてを超越して起こったビーイング・ブーム
http://www.musicman-net.com/relay/115-6.html
(記事より抜粋)
--ビーイングの存在を知るきっかけは何だったんですか?
吉田:たまたまある日、会社に戻ってきたら僕の机の上にシングルCDが置いてあったんです。宣伝マンの方が置いていったのでしょう?
それがB’zだったのです。まだ売れていなかったB’z のCDを聴いて、衝撃を受けたんですよ。日本にもこんなアーティストがいるんだ、こんなにクオリティの高い音楽を作る会社があるんだとビックリしました。
それでCDにBMGビクターと書いてあったので、すぐに松井制作部長に電話したら、「これはビーイングって会社が制作している」と教えてくれて、すぐに連絡しました。数日後、近くの喫茶店で長戸さんと会いました。
僕はゴールデンで始まる新しい番組のオープニング、エンディングをやってくれと話を持っていったんですが、テレビというメディアと組んで仕事をすることに抵抗があるらしく最初は断られて、それでも説得してね。結局、引き受けてくれることになって、4,5曲くらい候補曲デモを持ってこられ選んだのが「BE THERE」でした。
--B’zのブレイクのきっかけはタイアップだったんですか?
吉田:現在のB’zの活躍を考えると、たまたまその時僕が関わったということかもしれませんが・・・。僕の記憶では「BE THERE」がオリコン初登場7位、その次の「太陽のKomachi Angel」こちらは我社は関係なくカメリアダイヤモンドのCMソングだったのですが、この曲からオリコン初登場1位となりましたね。
僕はビーイング以外で、音楽制作会社3社くらいに制作依頼して、どんどん曲を集めていましたが、圧倒的にクオリティが高いのはビーイングだったんです。ダントツに良い曲を作っていて、それがのちのビーイング・ブームになっていくんです。
--90年代ですよね?
吉田:そうです。普通のレコード会社のプロデューサー・ディレクターの制作工程は、詞や曲の打ち合わせ、アレンジをして、オケを作って、歌入れして、約一ヶ月工程でやっていたんですね。まあ一ヶ月かからなくても最低3週間のところ、ビーイングは完パケまで一週間で仕上げていましたからね。早いものは更に短時間で・・・。
やっぱり不可能を可能にするとか、時間を超越するとか、そういうことをしないと勝てないんですね。それが互いに仕事をしていくうちに意識としては普通になってしまう。クオリティ、時間、量、すべてを超越していく中でビーイングブームは必然的に起こったんです。
--その毎日大量に作られる音楽を吉田さんは全て聴かれていたんですか?
吉田:我社が関連しているものは全部聴いていました。徹夜も平気でしたしね。ゴルフも良く行きました。午後3時か4時頃に会社へ帰ってきて、それから夜中2時とか3時頃までずーっと仕事して(笑)。
テレビ朝日ミュージック
会社概要
http://www.tv-asahi-music.co.jp/company/?csidtvam=3nq8vmaf2aa7r0hrngt1e7h0k6
伝説の長戸大幸プロデューサー ボーカル 声だと思う そこにどんな魅力があるか どう引き出すか引き出せるか
http://blogs.yahoo.co.jp/mabshii_diamond/65810434.html
http://blog.livedoor.jp/action_076-superlovesong07/archives/1059558413.html
Musicman-NET
第29回 恒川光昭 氏
http://www.musicman-net.com/relay/29.html
(記事より抜粋)
ちょっと話飛んじゃうんだけどね、「ハーシーのチョコレートをその頃食べたんだ」っていう話をしたらね、長戸大幸さん(現(株)ビーイング代表取締役社長)がね、「恒川さん、それはやっぱり都会の男だよ」て言うんですよ。「俺は近江にいて上京してからハーシーを食った。やっぱりこの差だなぁ」なんて言ってましたけどね。それぐらいレアな体験だったんでしょうね。